
松井稼頭央選手、アストロズを事実上の戦力外

5月19日、ヒューストン・アストロズのエド・ウェードGMが、松井稼頭央選手をウェーバー公示にかけたことを発表した。公示期間を経て、5月24日までに獲得意思を表明する球団が現われなければ、松井稼頭央選手はそのまま自由契約となってしまう。これは事実上の戦力外扱いということになる。
今季の稼頭央選手の成績は、14試合に出場し37打数5安打、打率は.135という低さだった。最後にヒットを打ったのは5月7日のパドレス戦で、それ以降は20打席立ってヒットを打つことができなかった。稼頭央選手は今回のウェーバー公示を受けて「成績が出せていなかったので仕方がない。この2年半、素晴らしいチームでプレーできたことに感謝しています」とコメントしている。
稼頭央選手は2004年シーズンからFAでニューヨーク・メッツの一員となり、晴れてメジャーリーガーとなった。だがメジャーの激しい連戦に持病である腰痛が悲鳴を上げ、ニューヨーク時代に本領を発揮することはできなかった。そして守備に関してもショートからセカンドへのコンバートが命じられた。この時感想を求められた稼頭央選手の目に、薄っすらと悔し涙が浮かんでいたことを、筆者は良く覚えている。
ニューヨークで結果を残せないまま、2006年途中からコロラド・ロッキーズへとトレードされてしまった。だがニューヨークに比べるとプレッシャーの少ないコロラドに移ると、稼頭央選手は打ちに打った。移籍後は32試合に出場し、.345という打率をマークした。この復活劇を支えたのが、当時稼頭央選手のパーソナルコーチを務めていた熊澤とおる現ライオンズ2軍コーチだった。稼頭央選手は熊澤コーチの卓越した打撃理論を元に、コロラドの地で復活を果たしたのだった。
その後も順調に結果を出し続け、2008年からヒューストンへと移ってきた。1年目は.293と求められた結果を出すことができたのだが、2年目は.250と調子を落としてしまった。ライオンズの2008年の快進撃を支えた1人が、言うまでもなく熊澤コーチだったわけだが、もし熊澤コーチがあのまま稼頭央選手のパーソナルコーチを務めていれば、昨季から続く不振も長引かずに済んだのかもしれない。
アストロズからは戦力外とされてしまったが、しかしこのまま引退するレベルの選手ではない。筆者の個人的な意見を言わせてもらえれば、やはり最後はライオンズに帰ってきて欲しいと思っている。年齢や腰のことを考えると常時二遊間を守ることはできないだろう。ましてやライオンズには片岡・中島という12球団を代表する二遊間コンビがいる。それならばファーストやDHでの出場でも良いと思う。そうすれば腰への負担も軽減できるし、何よりもスイッチヒッターという最高の5番打者を獲得できることになるのだ。そして打つことだけではなく、守備面に関しても稼頭央選手は、まだまだ片岡・中島コンビよりずっとレベルが高い。特に球際での強さは群を抜いている。
日本球界へは何度か復帰がささやかれていた。昨年東尾修元監督が楽天の監督候補になると、楽天での日本復帰がささやかれた。そして稼頭央選手が尊敬する原監督率いる巨人での日本復帰も、過去何度か噂されている。しかしWBCの選考において、原監督は稼頭央選手に「選ぶ」と伝えたにもかかわらず、最終的には言葉一つなく選ばなかった。これがもし真実だとすれば、巨人での日本復帰の可能性は低いだろう。稼頭央選手の高額年俸を考えると、西武球団ではひょっとしたら難しいのかもしれない。だが稼頭央選手は工藤公康投手同様、西武ドームにファンを呼べる選手だ。難しいかもしれないが、もしメジャーからのオファーがなかった時は、なんとかライオンズに帰ってきて欲しいと思う。そして埼玉の地でもう一度野球選手として最後の大輪を咲かせてもらいたいと切に願うばかりだ。


2010年05月20日 17:55 Tweet


